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このたび会津17市町村の連名で申請していました「会津三十三観音めぐり 巡礼を通して観た住時の会津の文化」が「日本遺産」に認定されました。(平成28年度認定)
会津三十三観音番外 会津ころり三観音の一
仏都会津の祖となった法相宗僧・徳一大師が、1200年前の平安初期、大同2年(807)「会津西方浄土」として開創されました。
その時、記念植樹された高野槙は東北最大で県天然記念物となっています。 東から入り参拝後、西より出る全国でも珍しい「東西向拝口」の御堂で、西方浄土への安楽住生を祈願したものです。
また、名匠・左甚五郎作と伝えられる「隠れ三猿」の彫刻は三匹見つけられれば運が開き「福マサル」と言われています。
円満寺の創建は、延元元年(1336)、芦名盛員の後室である藤原氏が、盛員と嫡男高盛の菩提を弔う為、観音堂を建立したのが始まりだと伝えています。
円満寺は、丸山城主山内政家の家臣、田崎隼人が、貞和2年(1346)に沼沢から出ヶ原村に移し観音堂の別当としましたが、寺の衰退と共に本堂などの堂宇は廃れました。観音堂は篤い信仰により永く守られ、天正7年(1579)に修復、慶長16年(1611)の会津地震では倒壊し、翌年に再建されました。
室町末期の貴重な仏堂建築として、昭和41年(1966)に国重要文化財に指定されています。